208日目 体罰のないクラス運営はどうやったらできるのか(2021/08/25)
最近はいろんな人にこのトピックについて相談してる気がする。
「生徒が悪いことをしたら、叩いて反省させる」
という躾がどうも苦手で見ているのがしんどい。
ガーナの学校の躾で使われる「ケン」。
子供をしつけるための特別な棒らしい。
生徒が悪いことをやったり、教室がうるさい時にケンを使ってビシバシ叩く。
反省させるために床に正座させたり、空気椅子をさせる。
「日本でケンを使ったら逮捕されるって本当?」
と先生に聞かれたので本当だと伝えると
「やっぱりそうなんだ。けど、ここはアフリカだから。
アフリカの子供は日本の子供とは違うんだ。」
と言う。
そもそも、体罰ってなんで禁止になったんだろう。
体罰について話す時、自分より年下の世代と年上の世代で意見が少し変わってくる。
同年代や年下の世代、つまり「ゆとり世代」・「さとり世代」と呼ばれる年代で体罰について話すと、
・悪いことをしたからといって棒で叩くのはひどい
・暴力を使って躾をするのはおかしい
と明らかに否定的な話が出るのに対して、
自分より年上の、つまり「ゆとり世代」より前の世代の人たちと話すと、
・躾としての体罰は自分たちの時代にあったし、自分が悪いことをしたという罰としての体罰は一丸に悪いとは言えない
・体罰を受けて育ったけれど、指導してくれた先生に感謝している
・体罰によって世の中の理不尽さを学ぶ機会になる
といった肯定的側面もあがる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%BD%B0
日本で体罰が良くないとされたのもここ数十年の動きのようだ。
正直、私は子供を育てた経験も年下の兄弟の面倒を見た経験もないので、ソーシャライゼーションとしての体罰が必要かどうかは何とも言えないなと思う。
ただ、躾としての暴力を容認すると、他人に暴力を振るうことに対するハードルが下がってしまうんじゃないかと考える部分がある。
傷跡も残っちゃうし…。
いや、逆に痛みを知ってるが故に暴力を振るわなくなるのか…?
私は大声で怒鳴られるだけで萎縮してしまうけれど、生徒たちはマスクをつけろとビシバシ叩かれた直後に平気でマスクを外すので、確かに体罰はメンタルを強くするのかもしれない…。
最初はあからさまな体罰に驚いたしどうにかできないものかと思ったけれど、ダメだという前提自体が私の固定概念かもしれない。
それに「体罰をせずにどうやってこのクラスをコントロールするの?」と聞かれた時の代案がないな、と思う。
そもそも、70人も80人もの生徒が1クラスにいる状況はとりあえずダメな気がする。
大人2人で見たとしても、子供の人数が多すぎてコントロールがきかない。
先生も1クラスあたりの生徒数が多すぎるのは分かっているけれど、だからといって教室が足りなくてクラスが分けられない。
そんな中、歌と踊り、上手な喋りでケンを全く使わずに生徒たちも楽しそうに授業をしているクラスがある。
授業内容も日本で受けてきた授業と遜色ないレベル。
彼女は
「日本の子供もアフリカの子供も変わらない。
ケンを使って怯えさせるのは良くない。」
という。
物が足りなくたって、生徒数が多くたって、素晴らしい授業ができる教員はどこにでもいるんだなとシンプルに尊敬する。
子供への躾を体罰ありで行っていくべきなのか、廃止していくべきなのかを決めるのはガーナ人達だと思うので、こんな方法もあるよーという一例として彼女の授業の様子を他の先生達にも伝える機会を持てないかな、なんて思う。