332日目 屠殺(2021/12/28)
クリスマス当日の12月25日は日本のお正月のように静けさに包まれていた街中が、年末に向けて一気に賑やかになってきた。
街の中心地はハロウィンのような仮装をした青年たち(一部少女たち)で賑わっている。
話を聞くと、コミュニティによって曜日が決まっていて、毎日日替わりでいろんなコミュニティの子達が仮装をして爆音のトラックとともに街を練り歩くようだ。
これが年始まで続く。
参加費を払って衣装を揃えたら誰でも参加できるみたい。
(参加費払わずコミュニティでもない紛れ者もいる)
通りすがっただけなのに「クリスマスだからお金ちょうだい。」といつもよりしつこく、いろんな人に絡まれる。
【お金ちょーだい!と可愛らしい中学生達が絡んできたので、肖像権を2セディで買うことにした】
お面や化粧で誰かわからないようになっているので、お金を渡さないとケン(子供を躾けるために使う特別な木の棒)でお尻を叩いてくる。(お遊び程度にペシペシ。)
衣装やお面が怖いし、棒を振り回して突然腕を掴んでくるし、街中のどこにでもいるのでユニバのハロウィンナイトなんかよりずっと怖い。
地元のお祭りのようなノリと賑やかさにわくわくしつつ、ただ買い物をしたいだけなのにいつも以上にしつこく絡まれるので、正直なところ面倒。
ただ、みんな楽しそうに浮かれている雰囲気は好きだし、素敵なクリスマス~正月の過ごし方だなあ、と思う。
さて、本題の屠殺。
CP曰く、
「クリスマスには何か生き物を絞めなきゃいけないの。」
ということで、一般的には鶏、お金持ちは牛を締める人もいるらしい。
福利厚生で職場から配布された鶏を締めると、CPが連絡をくれた。
”Come and let slaughter the fowl.(鶏を屠殺しに来て)”
たぶん人生でもらう最初で最後のタイプのメッセージ。
鶏肉、豚肉、牛肉、ヤギ肉、グラスカッター…。
普段栄養バランスを考えるとタンパク質としてお肉は重要で、栄養バランスを考えなくとも、美味しいのでお肉は食べたい。
そんな身近なお肉は、日本だと生肉になった状態でしか見かけないし、ガーナでは家畜がブラブラ歩いているのは身近でも、自分が食べるものは既に肉の形になっている。
命が消える瞬間を見たくない気持ちと、でもそこを実際に見たことがないのに毎日のようにお肉を食べている生活とのギャップ感に長らく違和感を覚えていた。
だから人生で一回くらい屠殺を見て見たかったし、自分でもやってみたかった。
(↓↓ここから屠殺の写真あり。見たくない人は気をつけて。↓↓)
屠殺の流れ
①鶏に水をあげる
これはあげてもあげなくても良いらしい。最後の晩餐的な。
今回屠殺を見せてくれた少年は、水を準備したものの、鶏が水を飲まなかった。
②穴を掘る
屠殺で出た血を埋めるための穴。
③包丁で首を切る
包丁で一瞬にして喉を切る。
あまりの手際の良さに、美しさを感じた。
ちなみにこの包丁はいつもご飯を作るときに使う包丁と同じ。
食肉への処理
④熱湯をかけて羽を取る
ここまで終わるともうほぼお肉。
爪はお湯では取れないので、炙って剥がす。
⑤解体する
鶏の首に足をさすらしい。
あと内臓は胆嚢が破裂すると、お肉全部が苦くなってしまうので気をつけないといけないとのこと。
CPが切り取った鶏の食べられない部分をゴミ箱に入れ、それを飼い猫が食べていて食物連鎖を垣間見た気がする。
以上で終わり。
そのまま調理するのかと思ったら、冷凍して少しずつ解凍して使うとのこと。
そういえば、日本の屠殺事情はどうなっているんだろうと思って、調べてみることにした。
今まで何も思いを馳せなかったことを反省。
ただ、屠殺を見たら、ビーガンになってしまうかもと考えていたけれど、動物への共感力と私の食欲は別腹なようで、特に心配する必要はなかったみたい。
今回の経験を踏まえて、これまで以上に食べ物を大切にしようと思った。
1/2追記
後日、解体したお肉は新年祝いに美味しくいただきました。